お寺に、予約システムを入れようとしたことがある。
というわけではないのだが、ふと考えることがある。
「このサービス、あの人には使えないな」と。
筆者はここ1年、ご高齢者や地域の小規模事業者の方々と関わる機会が増えた。
そのなかで気がついたことがある。
ITが、UXの問題で「使えない」のではなく、ITそれ自体が「届いていない」のだということに。
お寺は、なぜWebサービスが入りにくいのか
お寺のことを考えてみる。
檀家の管理、法事の予約、お布施の記録、墓地の管理。これらは、どれもデジタル化できそうな業務だ。
実際に、寺院向けのサービスはいくつか存在する。
たとえば檀家管理に特化したクラウドシステム「お寺まもる君」は、65歳の住職でも使えることを売りにしており、檀家名簿・過去帳・回忌管理などをまとめて扱える。「寺務台帳」というサービスは、檀信徒との記録をカルテ化し、信頼関係の構築に活かす発想で設計されている。
WebFolioでも以前、「ブッタスク」というサービスを紹介した。
葬儀や法要で困っている生活者と、全国のお坊さんをマッチングするプラットフォームだ。宗派・エリア・レビューからお坊さんを選べ、お布施の目安も事前に確認できる。「お坊さんの食べログ」を目指すという言葉が印象的だった。
これらは確かに、面白い試みだ。
しかし、普及しているとは言いがたい。
なぜか。
「便利」の提案が、なぜ刺さらないのか
ひとつには、意思決定者が高齢であること。もうひとつは、顧客(檀家)もまた高齢であること。
そして、もっと本質的なことを言えば、お寺という場所が「関係性」で成り立っているからだと思う。
お寺と檀家の関係は、何十年もかけて積み上げられた信頼だ。住職が顔を覚えていて、名前を呼んでくれる。それがサービスの本体であり、システムはその周縁にすぎない。
「便利になります」という提案は、ときに「あなたたちの関係を効率化します」という意味に聞こえてしまう。
お寺だけではない。農家、漁業、地方の個人商店、町の整骨院、民宿。これらに共通しているのは、業務の中心に「ヒトとヒトの関係」があることだ。Webサービスが最も得意とする「スケール」や「自動化」が、むしろ邪魔をする場面がある。
ログインできない、ということ
もうひとつ、もっと手前の問題がある。
「メールアドレスとパスワードでアカウントを作成してください」
これらは、私たちにとって当たり前の手順だ。しかし、「これ、どこを押すの?」と聞いてくる方にとっては、サービスへの入口ではなく、壁でしかない。
ログインできなければ、サービスは存在しないも同然だ。
どれだけ便利な機能があっても、どれだけ安い価格でも、その人には届かない。
本当に困っている人は、声をあげられない
そして、構造的な問題がある。
ITが使えない人は、「使えなくて困っています」とインターネットで発信できない。アンケートフォームに答えられない。レビューを書けない。SNSで不満を言えない。
つまり、最も困っている人の声が、最もプロダクトに届きにくいという構造がある。
ユーザーインタビューをしようとしても、そもそもその人たちにリーチするためのツールが、その人たちには使えない。
直接話を聞きに行ったときに言われたのが、
パソコンのメールが怖い。迷惑メールとかじゃんじゃんきて訳がわからなくなってから難しくなってきた。
だった。
これはUXデザインの問題であると同時に、社会設計の問題でもある。
問いは「どう使わせるか」ではなく「どう届けるか」だ
筆者がいま模索しているのは、その点だ。
画面をわかりやすくする、フォントを大きくする、ステップを減らす。そういった工夫は大切だ。しかし、それ以前の話がある。
そもそも、Webフォームを入力できない。
Webサービスのゴールは、Webを使わせることではない。誰かの生活を、少しだけ楽にすることだ。
入口に立てない人のために、入口を作り直すこと。
それが、次のWebサービスの、本当のフロンティアなのかもしれない。




















